昨今、フルコンタクト空手業界で過剰な指導が問題になっている。

特に子供に対して危険な組手を行う動画が拡散されたりと
炎上にまで発展することもあった。

よくフルコンタクト空手やってると
試合前に「相手を殺す気でいけ!」とセコンドや先生から言われてきた。

正直、僕はそんな気は起きず、
練習してきたことをどこまで発揮するか?
みんなの期待に応えたい。
かっこよく一本を取りたい

くらいしか考えていない。

 

しかし、そういった考え方だと上に行けないのも一理ある。

「殺す気でいけ!」はあくまで比喩表現である。
そういった気持がなければ人間は本能的に攻撃を撃ち抜くことが出来ずインパクトの手前で止めてしまう
そのブレーキを外すための方法論の一つだ。

これは砲丸投げで大きな声をだしたり
ラグビーの前のハカなども該当する。

 

個人的には別に「殺す気」でいかなくとも相手を倒す攻撃は出せると思っている。
ただその場合、冷静に相手を倒せるタイミングを考えて的確に撃ち抜く訓練を続ける必要がある。

 

ここで問題になるのが
「殺す気でいけ理論」を子どもたちに適用するかどうかだ。

結論からいうと僕は反対である。

なぜなら、それを比喩表現として理解できない可能性が高いからだ
仮に理解したとしても、それはあくまで表面的なもので認知がゆがんでしまう可能性を秘めている。

殺す気で行け理論は一種のショック療法と認識している。

通常、お互いに切磋琢磨し同じ競技をする仲間と戦ったり、知らない人と戦う非日常の空間において
相手に正の感情移入してしまうと戦いにくくなる。

憎しみ、親の仇と瞬間的に誤認させることでパフォーマンスを引き出す方法だ。

しかし、これを多感な少年〜青年期に適応することは教育において正しいのだろうか?

表向きは「青少年の健全な教育としての空手」を謳い
裏では「結局は暴力であり殺し合い」などと語る競技に未来は無い。

 

では、なぜここまでショック療法的な指導がまん延するのだろうか?

ひとつは「狂気的なまでの競争社会」だと思っている。

 

保護者はこどもが試合で勝つと自分のことのように嬉しい。
これは僕も同じ感覚だ。

しかし、いつしか子供とシンクロしていき
子供が組手で負けたり練習で泣いたりすると自分のことのように感じるようになる。

そして、過剰に叱責したり時に暴力を振るうこともある。

子供はその期待に応えたいので必死に頑張る。

親は頑張る子供を必死に応援する。

そのサイクルは臨界点近くまでいくと毎週大会に出場するような自体に陥る。

フルコンタクト空手は全力で殴り合う競技だ。
一度でも試合に出たことがある人は次の日のダメージを知っているはずだ。
さらにワンデイトーナメントなので勝ち上がると一日何回も試合をすることになります。

子供の試合とはいえ、多くても二ヶ月に一度くらいのペースじゃないと故障のリスクが上がります。
しかし選手として活躍している子達は月に1〜2回のペースで試合に出るのがデフォルトになっています。

 

そこまで親子で熱狂すると
どうしても結果を求めてしまい
ショック療法も必要とあらば容認してしまう形になります。

 

道場としても、勝つための指導に傾倒していき
練習は激しくなり、肉体的、精神的にギリギリまで追い込むような形に変化していきます。

 

そして道場という小さな世界は現実社会と乖離した過激な空間になってしまうことがあります。

これは非常に難しい問題で
東大に入りたい人は睡眠時間を削って友達とも遊ばずにひたすら勉強をするように
起業して結果を残したい人も狂気的なまでに働きます。

社会で「勝ち上がっていく」ためには厳しい指導の激流の中で揉まれるのもいい経験かもしれません。

 

しかし、そういった厳しい指導を行う場合は「人格を否定」したり「認知をゆがませる」ような指導は気をつけなければいけません。
根本にあるのは愛情であることを教え、きちんと対話で理解させることが前提になければ、子どもたちの将来を歪ませたりトラウマのようになってしまう危険性があります。

 

僕は、道場を経営しているわけでもなく、あくまで趣味で空手をしている人間です。
でも、22年空手をやってきて黒帯を締めて子どもたちの前に立っている身として
この問いは常に考え、自分なりの答えを伝えていきたいと思います。