「塚本徳臣」
その名前はフルコンタクト空手を長く修行している人で知らない人はいないといっても過言ではないほど
近代空手の礎を築いた名選手の一人である。
もちろん実績もとんでもない。
戦績
世界大会
1996年(平成8年)1月27・28日 第6回全世界空手道選手権大会(極真会館(大山智弥子館長):現新極真会主催)優勝(史上最年少での戴冠)
1999年(平成11年)11月4・5日 第7回全世界空手道選手権大会(極真会館:現新極真会主催)出場
2003年(平成15年)10月4・5日 第8回全世界空手道選手権大会(新極真会主催)第7位
2007年(平成19年)10月13・14日 第9回全世界空手道選手権大会(新極真会主催)第7位
2011年(平成23年)10月22・23日 第10回全世界空手道選手権大会(新極真会主催)優勝(史上最年長での戴冠)
そしてその醍醐味は独創的な組み手スタイルだ。
変形のブラジリアンキック
「マッハ蹴り」
縦蹴りやブラジリアンキックと呼ばれる軌道が変化する蹴り技だけど
塚本徳臣選手の1本率は非常に高い。
通常、ブラジリアンキックは当てるだけなら難しくないのだが
相手を倒す程の破壊力はなく、必殺の武器として使いこなしているのはフィジカルの強いグラウベ・フェイトーザなどの海外勢が多かった。
そんな中、塚本選手はマッハ蹴りで一本の山を築いた。
また組手のスタイルも独創的で
スケートボードに乗っているような完全半身の体制で相手を引き込み縦回転の胴回し回転蹴り
手を大きく前に出し、相手を惑わすような動きから激しい出入りをしたりと
今までの空手のセオリーを大きく変えてしまった。
その流れはその後、白蓮会館 福地勇人選手や内藤 貴継選手など多くの選手に影響を与えたと言われている。
フルコンタクト空手は、ルールの特質上どうしても突きと下段を中心とした超接近戦の試合が多い。
試合に勝つためにはどうしてもこのスタイルになりがちなんだけど
正直、これが見栄えが悪い。空手の本来の魅力は「一撃必殺」なのに
お互い削り合い、最後の30秒で手数で判定勝ちを狙うという戦い方がスタンダードになっている時期があった。
そこに塚本徳臣選手の登場し
「間合い」を支配し常に倒せる技を狙い、ヒリヒリした緊張感を生むファイトスタイルが増えた。
近代空手を代表するレジェンドの一人だと思う。